あれっ、個人的な話を普遍的な話に昇華?


「宇多田ヒカル論 世界の無限と交わる歌」(杉田俊介著、毎日新聞出版)より


以下は掲題書からの一部抜粋。


第六章 幽霊的な友愛のほうへ

  幽霊的な友愛の原理


 『Fantome』は、全身の骨格としては、死者たち(母親/東日本大震災の死者たち)に向き合ったいくつかの楽曲が背骨としてまずあり(一曲目の「道」、三曲目の「花束を君に」、七曲目の「真夏の通り雨、十一局目の「桜流し」)、その合間合間に、他のアーティストたちとのコラボ曲が内臓器官のように配置されている、という形になっている。そして背骨以外の楽曲たちにおいては、様々な曲調や新機軸の歌詞が試されている。  


  愛と別離に感謝をーー「花束を君に」「真夏の通り雨」

 インタビューの中で、宇多田は次のようなことを言っている。

 これは母への思いを書いた曲である。しかし、娘として母に向き合っているだけでは、なかなか歌が完成してくれなかった(先ほども触れたように、母の死後には、もう二度と音楽を作れないかもしれない、と感じていた時期もあったし、自死遺族の会合に通っていた時期もあったのである)。

 そんなときに、別のイメージが重ねられていった。つまり、過去につらい恋愛をした女性が悲哀を思い返している、救えなかった人を置いてきてしまって罪悪感を抱えている、今は子どももいる、でも「あの人は、今どうなってしまったんだろう」とまだひきずっている。そのような一人の女性のイメージを、娘である宇多田自身と母の関係に重ねていくことで、ようやく、この曲は完成したのです、と(インタビュー、『ぴあMUSIC COMPLEX』vol.6)。


<感想>

 個人的な話を普遍的な話に昇華させることによって一つの作品が生まれていく。宇多田ヒカルのこうした取り組み方が好きだ。

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元証券マンが「あれっ」と思ったこと
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by tsuruichi1024 | 2017-04-08 08:00 | 宇多田ヒカル | Comments(0)