2018年 06月 11日
あれっ、是枝監督のドキュメンタリーに対する思い?
【 是枝裕和監督:ドキュメンタリーをつくる時 】
以下は、同書からの一部抜粋。
P179
しかし、果たして国は「行政指導を中心にできる限りの対応をした」だろうか。
果たしていつを指して「原因物質もあきらかになっていなかった」と言っているのだろうか。
歴史的な事実からいって、国は通産省を中心に、明らかになっていた原因物質の隠蔽に奔走し、意図的に有機水銀説を山に葬ったのではなかったか。そのために御用学者を動員し、非水銀説をマスコミ等で大きく取り上げるよう、「できる限りの対応をした」のではなかったか。そこには行政指導を怠ったという消極的な責任ではなく、経済成長の代償として水俣病の発生に目をつぶり、患者の拡大をまねいたという、積極的、犯罪的責任があったのではなかっただろうか。
少なくとも当時、厚生省に在籍して、水俣病原因究明の過程を目の当たりにした人間であれば、当時の通産省や経済企画庁が何をしたのか、そして厚生省は何ができなかったのか、理解していたはずである。公害課課長補佐を経験している山内はそのひとりだったと言えるだろう。
この頃、仕事がうまくいかない、と山内は珍しく知子に愚痴をこぼしている。患者との交渉がうまくいかないのかと思って尋ねた知子に、
「やりにくいのは外部じゃなくて内部なんだよ」
と、山内はもらした。知子はそのひと言だけでは詳しい事情はわからず、山内もそれ以上は話そうとしなかった。
あとがき(P247)
1991年1月10日午後5時。
僕はテレビのドキュメンタリー番組の取材のため、町田駅からバスで薬師台へ向かっていた。訪問先は山内知子さん。彼女は1か月前に自殺というショッキングな出来事で夫を失ったばかりだった。
ドキュメンタリーをつくる時に、弱者と強者、善と悪の色分けをあらかじめしてしまうと、制作者として楽である。
行政、官僚を悪と決めつけ、善良な市民の側から告発する、企業を悪と決めつけ、消費者の側に寄り添いながら描写する。
たとえ、それが真実であるとしても、このような「安直な図式」に社会をはめこむことで、ぎゃくに見えなくなるものがある。山内豊徳というひとりの官僚は、そのことを僕に気づかせてくれた。
<感想>
本書は、是枝監督の1992年の著書。
当時の経済成長推進派の通産省・経企庁 vs 厚生省の構図、自殺された山内局長の奥様との対話。
今度はこのドキュメンタリー番組を見てみたい。
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元証券マンが「あれっ」と思ったこと
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