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「みだれ髪」 (与謝野晶子、今野寿美=訳注)


 以下は掲題書からの一部抜粋。


『 新版刊行によせて

 文字通り新世紀をひらく歌集として『みだれ髪』は1901年8月に刊行された。満22歳の与謝野晶子の第一歌集。女性の単行本歌集としても初の刊行であった。発売後、全国の青年たちが競って『みだれ髪』を読み、晶子の歌を真似た。青年たちは女性になりかわって晶子調を模倣し、新聞歌壇に投稿したのである。ほほえましいくらいに女歌の模倣に走った青年たちのなかに、のちの石川啄木も北原白秋も萩原朔太郎もいた。

 それだけ多くの目を惹きつけた『みだれ髪』の歌を後年の晶子が嫌い、自選歌集にはわずか14首しか入れなかった事実はよく知られている。なぜなのだろう。

「だって、わからないじゃないですか」という晶子のことばが伝わっているけれど、きっとその解釈はかなり本音であっただろう。今のわたしたちにしてみればなおのこと、なんとも読みにくい、解釈お手上げの歌が何首にも及んでいる。  今野寿美


  解説(括弧内は本文より)

 晶子が深窓の恥らい多きおとめから、妻子のある鉄幹に走った行為の中には、たしかに初心のひたすらな情炎の燃ゆるにまかせた一人よがりもあったろう。鉄幹に溺れ、その陰に泣く妻子のことにまで心を配り得なかった「罪」の思いからのがれることは出来なかったが、罪は罪としてひたすらに押し切り、一つの恋愛を完うした姿が、そのまま「みだれ髪」の一巻となった、ということも出来よう。

 その子二十(はたち)櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな
(その子はもう二十歳。櫛を入れると黒髪は流れるように美しい。恋をしていれば、この世で一番と思いたくなる・・・・・・。わたしのことよ。)

という歌、これは晶子その人ではないとしても、そのような「おごりの春」の無垢な女性の黒髪が、やがて

 みだれ髪を京の島田にかへし朝ふしてゐませの君ゆりおこす
(朝、髪結いを頼んで寝乱れた髪を結い直してもらった。京(みやこ)風の島田はさすがに美しく、われながら似合っていることも嬉しくて、まだ寝ていらっしゃいというあなたをつい揺り起こしてしまう。)

となって妖しく乱れはじめ、

 いとせめてもゆるがままにもえしめよ斯くぞ覚ゆる暮れて行く春
(燃えるがままに燃えたいと、せつにせつに思う。春はゆき、人生の春もまたあえなく過ぎるのだもの。*「せめて」は情意を表す語を修飾し、その程度が強いことを表す。切実に。「いとせめてこひしき時はむばたまの夜の衣をかへしてぞきる」小野小町。)

と自らの春の命を惜しんだ歌の心は、その間の恋の推移を物語ってもいるかのようである。

 この「みだれ髪」の完成──恋の完成──の陰には、当然のこととして忍び難い犠牲や悔恨もかくされていた。それを押し切った勝利の快感の反面には、時に晶子を孤独な淵に佇ませるようなこともあったろう。「みだれ髪」をつぶさに味わえば人間晶子のかなしみがそこはかと垣間見えもする。だからこそ「みだれ髪」は真の恋歌であると云える。  野田宇太郎 』


<感想>
 今から100年以上前の新世紀をひらいた『みだれ髪』。娯楽が少ない当時の若者に大きな衝撃を与えたに違いない。晶子自身の恋の変化の歌への影響も見逃せない。

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元証券マンが「あれっ」と思ったこと
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by tsuruichi1024 | 2017-07-29 08:00 | みだれ髪 | Comments(0)