【 宇多田ヒカル:座談会(その3) 】


 今日も「宇多田ヒカル 小袋成彬 酒井一途 座談会」から。(その3)


ー「みんな孤立してるじゃない、本当は。でも一人と一人だったら、それを乗り越えて本当の繋がりを感じられる。それが私の繋がり方だな」
http://www.utadahikaru.jp/zadankai/s9.html

 私はどの国にも属していない、部外者たちが集うインターナショナルスクール、って環境で育ってるから。世界百何十カ国から来てる生徒がいて、共通言語は一応英語だけど、英語喋れない子もいっぱいいた。アフリカからの難民の子が来て、フランス語しか喋れないとか。家族が殺されたから来たんだって。そういう子がいるのが普通だったんだよね。だから、どこにも属していない独特の無国籍地帯、聖域みたいなところで育っちゃったんだよ。今振り返ると、本当にラッキーだったんだなって感じる。すごく貴重な育ち方、教育の受け方ができた。

 その中でも私は浮いてて。グループにも属せず、ひとりふわふわって。常に転校生の状態。一箇所の学校に、最長でも三年とか。飛び級したり、クラスが変わったりもして。だから学校というアイデンティティーすらないんだよ。どこにも母校という意識はないしね。外からぽつんとみんなを見てた。

 みんな孤立してるじゃない、本当は。気づかないで生きてたり、見ないようにして生きてるだけでね。自分が孤立していることを見ない方がいい、考えない方がいい、っていう教育を受けてきてるから。特に日本はそう。集団で繋がっているという幻想を見せて、自分よりも集団を大事にしろっていうでしょう。そういう息苦しさがあるよね。でも一人と一人だったら、それを乗り越えて本当の繋がりを感じられるんじゃない? それが私の繋がり方だな。


ー「俺が思うChris Daveを、Chris Dave本人が叩いたら、果たして誰のビートなんだ?」
http://www.utadahikaru.jp/zadankai/s10.html

 『Fantome』は、私も自分で喪に服してるようだったから、喪が明けて開放されたときに、何が出せるか。ただ下を向いて、悶々と内省するものではないだろうな、という気はしてて。
 それで「遊び」について考えたとき、白洲正子さんの『名人は危うきに遊ぶ』っていうエッセイ集で、「遊びをもたせるということは、余裕をもたせるという意味で使われていた」と書かれていたのを読んで。
 それが、今回の自分のattitudeに共感するところがあった。で、実際その通りになったから、前よりも気楽にできた。なるようになるし、最終的に自分で束ねられる自信があったんだよ。

 『Fantome』を作ったときに、初めて生の演奏を使いはじめたから、その当時はまだ探り探りだったんだよね。自分のデモが生の演奏に差し替わったらどうなるか、というのが、あまりうまく想定できないままに進めていて、やってみてから「あっ、いいじゃん」ってなったりして。そういう風に、初心者的にやってた。

 今回はもう経験を経て、だいたい想定した上でデモを作れたから、良かった。ミュージシャンに対する信頼もあって、前よりもうまくミュージシャンを使えたし。


ー「考えが及ぶ限り、コントロールできる限りのことをやるんだけど、そこで一回手放すんだよ」
http://www.utadahikaru.jp/zadankai/s12.html

 「夕凪」って曲で一番好きな要素があって、聴いてるとすごくいいところでピアニストが体勢を変えて、椅子が「ギギギギ」って言ってる場所が何箇所かあるの。それが絶妙なとこで入ってて。この曲、仮タイトルを「Ghost」にしてたんだけど、おばけがいるみたいで本当に好きなの。この音がなかったら、ここ物足りないだろうなって思う。自然の出来事による雑音が、すごくいい。無音空間だと不自然だから。

(構成・編集:酒井一途.2018年5月22日採録)


<感想>
 母の死後の喪中期だった『Fantome』から2年。
 喪が明けて開放された気楽さ、生の演奏、ミュージシャンに対する信頼、自然の出来事による雑音、色々なものが詰まった『初恋』。
 ベトナムのダナンで毎日「パクチーの唄」を聞いていたら、生まれて初めてパクチーが食べられるようになった。謝謝。

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by tsuruichi1024 | 2018-08-04 08:00 | 宇多田ヒカル | Comments(0)


【 宇多田ヒカル:座談会(その2) 】


 今日も「宇多田ヒカル 小袋成彬 酒井一途 座談会」から。(その2)


ー「小袋くんは、わかんないから考えない。他者を考えないで自分を保ち、生存する。私は、他者を考える、考えることで生存する。」
http://www.utadahikaru.jp/zadankai/s6.html

 子供の頃、母親に「あんたは本当に人の気持ちがわかんない子だね」って散々言われて、「はーん、なるほど。俺わかんねえんだ。じゃあわかんねえものは、ないものとしよう」と。それから、本当に他者の気持ちをまったく考えずに生きてる、って言い切られたから。
 思春期にそこまでハッキリ決めて、それを信条に生きてるの、珍しいなと思って。特に日本人ではね。私のイメージで言うと、日本社会では周りを気にして、自分を出しにくいというのがあるから。


 根底では、私も他者の存在なんかどうでもいいって、本当は思ってるの。それこそ子供の頃から、大事なものは他者に求めてはいけないと思ってたから。
 大人はみんな、違うこと言ったりするでしょ。だから、真実や救済を他者に求めてはいけない、って気づいてた。けど子供だったから、まだ大人に頼らないといけないじゃない。
 ある程度は他者と共存して、生存していく必要があって。それでわからないなりに、AIみたいに他者の行動パターンとか、思考パターンのデータを集めて、予測したり危険を察知して生きてきた。
 だからある意味で、私は他者のことをすごく考える。事象としてね。自分の身の安全のために。


ー「『ありのままでいいじゃないか!』って思ったとしても、『ありのままでいいのか?』って言ってくる自分がいる」
http://www.utadahikaru.jp/zadankai/s8.html

 女の子って、過去の恋愛を本当に引きづらないよ。よく言われるけど、今好きな人のこと以外どうでもいいから、過去を振り返ってどうとかこだわらないし、今しか感じてない。

(構成・編集:酒井一途.2018年5月22日採録)


<感想>
 他者の行動パターンとか、思考パターンのデータを集めて、予測したり危険を察知して生きてきた子ども時代。
 真実や救済を他者に求めてはいけないと思い、事象として、自分の身の安全のために、他者のことをすごく考えてきたこれまで。
 過去の恋愛を引きづらず、好きな人のこと以外どうでもいい今。
 いろいろな経験が、今日の宇多田ヒカルを創造しているようで興味深い。

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by tsuruichi1024 | 2018-08-02 08:00 | 宇多田ヒカル | Comments(0)


【 宇多田ヒカル:座談会(その1) 】


 今日は、「宇多田ヒカル 小袋成彬 酒井一途 座談会」から。(その1)


ー「真実の追求が根底にあってね。ただただ綺麗で整ってたら、真実じゃない」
http://www.utadahikaru.jp/zadankai/s1.html

 この気まずさはいつまで続くんだろう、どうなっちゃうんだろう、また離婚するのかな、って思っていても、いつの間にか音楽が始まって、「お腹すいたね、なに食べる?」って日常に戻るの。音楽がなかったら、成立しない日常だった。

 「えっ」って思った瞬間、人間は無防備になるじゃない。その瞬間がいちばんニュートラルで、変な考えも何もないふわふわした状態になれるときのはずだから。そのふわっとした感じを聴き手のなかに作れれば、心にすっと入っていけるのかなと思って、意識的にやってるところはあるよ。


ー「急に、地獄の蓋が開いたようになって。歌いながら泣いて、床でティッシュに囲まれながら、鼻水と涙を拭いて」
http://www.utadahikaru.jp/zadankai/s3.html

 特に『Fantome』からは、個人的な体験と直接的に結びついた歌詞になればなるほど、歌詞のフィクション性が高まってる。
 むちゃくちゃ私の、個人的な体験から来てることなのに、歌詞にキャラ設定が生じたりする。五十代くらいの女性が、こういう過去の体験をもって、今こういう風景を見ながら、こういうことを思っている、という設定が同時に出てきたり。
 「真夏の通り雨」もそうだし。「花束を君に」もすごくパーソナルなところから来ているのに、娘の結婚式で感動してる父親、という設定もあったりして。そういうのって、フィクション性だと思う。なんでだろう、不思議だよね。相反するものに思えるのに。

 私は曲を作るという作業、音楽作るということがなかったら、こんなにいっぱいいろんなものがたまってることに気づかずに、病気とかしてるだろうな。音楽という場があって、本当に救われてるんだなって思う。

(構成・編集:酒井一途.2018年5月22日採録)


<感想>
 音楽がなかったら、成立しない日常。
 個人的な体験と直接的に結びついた歌詞になればなるほど、フィクション性が高まる歌詞。
 病気から救われるための音楽。
 私には、宇多田ヒカル自身、とても奥が深い存在のように思われる。

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by tsuruichi1024 | 2018-07-31 08:00 | 宇多田ヒカル | Comments(0)


「宇多田ヒカル論 世界の無限と交わる歌」(杉田俊介著、毎日新聞出版)より


以下は掲題書からの一部抜粋。


第六章 幽霊的な友愛のほうへ

  幽霊的な友愛の原理


 『Fantome』は、全身の骨格としては、死者たち(母親/東日本大震災の死者たち)に向き合ったいくつかの楽曲が背骨としてまずあり(一曲目の「道」、三曲目の「花束を君に」、七曲目の「真夏の通り雨、十一局目の「桜流し」)、その合間合間に、他のアーティストたちとのコラボ曲が内臓器官のように配置されている、という形になっている。そして背骨以外の楽曲たちにおいては、様々な曲調や新機軸の歌詞が試されている。  


  愛と別離に感謝をーー「花束を君に」「真夏の通り雨」

 インタビューの中で、宇多田は次のようなことを言っている。

 これは母への思いを書いた曲である。しかし、娘として母に向き合っているだけでは、なかなか歌が完成してくれなかった(先ほども触れたように、母の死後には、もう二度と音楽を作れないかもしれない、と感じていた時期もあったし、自死遺族の会合に通っていた時期もあったのである)。

 そんなときに、別のイメージが重ねられていった。つまり、過去につらい恋愛をした女性が悲哀を思い返している、救えなかった人を置いてきてしまって罪悪感を抱えている、今は子どももいる、でも「あの人は、今どうなってしまったんだろう」とまだひきずっている。そのような一人の女性のイメージを、娘である宇多田自身と母の関係に重ねていくことで、ようやく、この曲は完成したのです、と(インタビュー、『ぴあMUSIC COMPLEX』vol.6)。


<感想>

 個人的な話を普遍的な話に昇華させることによって一つの作品が生まれていく。宇多田ヒカルのこうした取り組み方が好きだ。

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by tsuruichi1024 | 2017-04-08 08:00 | 宇多田ヒカル | Comments(0)



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by tsuruichi1024 | 2017-04-07 08:00 | 宇多田ヒカル | Comments(0)


「宇多田ヒカル論 世界の無限と交わる歌」(杉田俊介著、毎日新聞出版)より  


 以下は掲題書からの一部抜粋。


  第六章 幽霊的な友愛のほうへ  

   母の死と向き合う-『Fantome』
 

 2016年9月28日。8年半ぶりのアルバム『Fantome』が発売される。 「Fantome」とは、「幻」や「気配」を意味するフランス語だという。母国語である日本語でも英語でもなく、フランス語を使うことが妙にしっくりきたという。 

 <<今回のアルバムは亡くなった母に捧げたいと思っていたので、輪廻という視点から“気配”という言葉に向かいました。
 一時期は、何を目にしても母が見えてしまい、息子の笑顔を見ても悲しくなる時がありました。
 でもこのアルバムを作る過程で、ぐちゃぐちゃだった気持ちがだんだんと整理されていって。
「母の存在を気配として感じるのであれば、それでいいんだ。
 私という存在は母から始まったんだから」と。 >>(「私という存在は母から始まったんだから 宇多田ヒカル、待望のニューアルバム『Fantome』をリリース」、『トレンドニュース GYAO!』2016年9月2日配信)

 これは本人による解説としてわかりやすいし、家族問題としては第三者の私たちの感覚としても納得がしやすい。

 2012年に発表された「桜流し」は別として、アルバム収録曲の中ではまず「真夏の通り雨」を作り、次に「花束を君に」を作ったそうである。

 これらの曲を作るのは、とても苦労したという。特に歌詞の面で難航した。いくつかのキーワードがぽつりぽつりと浮かんでも、題材がデリケートなだけに、なかなか完成してくれなかった。母の死後には、もう二度と音楽を作れないかもしれない、そんな覚悟をしていた時期もあったという。

   現在の宇多田はすでにとまどわず、何も臆することなく、『Fantome』というアルバムには自らを癒すためのセラピー的な側面があった、そう語っている。それを真っ直ぐに公然と語りうるところまで、自分をもってきた。 

 母の生前は、いろいろなことを公にできず、「秘密」を抱え、自分を制限してきた面もあった。けれども、母の死とともに、内なる「センサーシップ(=検閲)」のようなものが解除された。それはもう恐れるものが何もない、という場所へと自分を開くことだった。母をめぐる「秘密」を公然とお天道様の下にさらすことだった。「全部裸になっちゃった、どうしよう」。

 そしていざ、そのことに気づいてみると、想像以上に、自分は「自由」だった。自由になってしまっていた。これほど、みんなに聞いてほしい、と素直に感じたアルバムは、これが初めてかもしれない、そうも言っている。 

 「桜流し」「真夏の通り雨」「花束を君に」以外の、今回のアルバム収録曲の歌詞のほとんどは、2016年の4月から7月までの約3ヶ月の間に一気に書き上げた。これまでで最短記録だった。 

 母の死は、自分に「自由」をもたらした。母を亡くしたこと、また再婚して男の子を産んで、自らが母親になったことで、急激に「大人」になった。大人にならざるをえなかった。宇多田は、そうも言っている。逆に言えば、どんなに成長し、成熟したとしても、彼女はそれ以前はまだまだ母の「娘」であり、母なるものの呪縛の中にあった。そういうことだろう。    


<感想>
 再始動の1曲目となった「真夏の通り雨」。

「汗ばんだ私をそっと抱き寄せて たくさんの初めてを深く刻んだ」

 自分が母になって子供を育てることで、自分が母にどんな初めてを教えられ、その積み重ねにより今日の宇多田ヒカルが生まれたとも言えよう。

 亡くなった母への想いが強く感じられるアルバム最良の曲だと思う。


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by tsuruichi1024 | 2017-04-06 08:00 | 宇多田ヒカル | Comments(0)

「宇多田ヒカル論 世界の無限と交わる歌」(杉田俊介著、毎日新聞出版)より  


以下は掲題書からの一部抜粋。

  第六章 幽霊的な友愛のほうへ  

  母の死、結婚出産、そして再始動へ   


 宇多田ヒカルは、2010年8月9日、年内をもって「アーティスト活動」をいったん休止して、「人間活動」に専念します、と宣言した。  

 2013年8月22日、宇多田ヒカルの母親である藤圭子が、東京都新宿区のマンション前で倒れているのが発見される。搬送先の病院で死亡が確認された。警察は自殺と判断した。   

 母の死(2013年8月22日)から半年弱が過ぎた2014年2月3日、宇多田は、イタリア人の男性と近々結婚する予定である、と報告した。相手は一般男性であり、職業はバーテンダーとのことだった。  

 さらに2015年7月3日、宇多田は「ファンのみなさんにお知らせ」として、次のように報告した。  

<<みなさんにお知らせがあります。 えー、この度、 うちに赤ちゃんが産まれました!・・・>>

 そして2016年4月15日、宇多田ヒカルは新曲「花束を君に」と「真夏の通り雨」を同時配信した。「花束を君に」は2016年4月からスタートしたNHK連続テレビ小説『とと姉ちゃん』の主題歌として。また後者は「NEWS ZERO」の新しいエンディングテーマ曲として。 こうして宇多田ヒカルは、音楽活動の再始動を公式に宣言した。


  <感想>

『Fantome』が生まれ、音楽活動を再始動したのは、2010年以降の宇多田ヒカルの個人的な経験が背景にあるに違いない。明日以降、本書を通じてそれを確認してみたい。

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by tsuruichi1024 | 2017-04-05 08:00 | 宇多田ヒカル | Comments(0)


悲しき歌姫 藤圭子と宇多田ヒカルの宿痾(大下英治著、イースト・プレス)より
 2013年11月1日 初版第一刷発行


『「悲しい歌はすごい歌いやすいんですけどね。 わたしの持ってる魂の色は、よっぽど悲しい的なもんなんだろうな、と思いました」

 「う~ん、遺伝とかもちょっとあるのかなあ。さすがにあの母の子だなみたいな。あの母親にしてこの子ありなとこはちょっとあるなって自分でも思いますね」

 「私が曲をつくる原動力って結局“恐怖”と“哀しい”と“暗い”なんですよ、全部」


 ヒカルの知人が言っているという。

 「ずっと考えないようにして生きてきたことの答えを改めて問うて見ると、父親への疑心が生まれてきたそうです。父親は母親のことを悪く言っていたが、自分のことをいちばんに考えてくれたのは母親の方ではなかったのか。あんなによくしてくれた祖母が疎遠になったまま死んで、墓参りにさえ行けないのはなぜなのか。そのまま日本にいて仕事を続けていたら、どうしても父親とかかわらざるをえない。ロンドン移住は照實さんと距離を置くためだったそうです


 かつてヒカルは「音楽をやっている自分をどう思うか」と訊かれて、こう答えている。

 「呪いです」

 辛い道だが、ヒカルは歌手として再び、崖っぷちの厳しい道を歩み続け、光を放出し続ける宿命を負っている。』(太字は筆者)



Be My Last」(作詞:宇多田ヒカル)より
 2005年9月28日リリース

 母さんどうして
 育てたものまで
 自分で壊さなきゃならない日がくるの?


嵐の女神」(作詞:宇多田ヒカル)より
 2010年11月24日リリース

 嵐の女神 あなたには敵わない

 お母さんに会いたい

 分かり合えるのも 生きていればこそ
 今なら言えるよ ほんとのありがとう


桜流し」(作詞:宇多田ヒカル)より
 2012年11月17日リリース

 もし今の私を見れたなら
 どう思うでしょう
 あなた無しで生きてる私を

 Everybody finds love
 In the end


真夏の通り雨」(作詞:宇多田ヒカル)より
 2016年4月15日リリース

 汗ばんだ私をそっと抱き寄せて
 たくさんの初めてを深く刻んだ

 いつになったら悲しくなくなる
 教えて欲しい

 今日私は一人じゃないし
 それなりに幸せで
 これでいいんだと言い聞かせてるけど

 変わらない気持ちを伝えたい

 愛してます 尚も深く


NHK SONGS」より
 2016年9月22日放送


 自分が親になって自分の子どもを見てると
 自分の空白の2,3年が見えてくる

 「私こんなんだったんだな」
 「こんなことを親にしてもらって」
 「こんなことをしてて」

 親に対する感謝
 「自分がどこにいるのか」見えた瞬間



」(歌詞:宇多田ヒカル)より
 2016年9月27日発売

 わたしの心の中にあなたがいる
 いつ如何なる時も
 一人で歩いたつもりの道でも
 始まりはあなただった

 It's a lonlely road
 But I 'm not alone
 そんな気分


 宇多田ヒカルにとっての母の存在が良い方向に変わって行くのがわかる


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by tsuruichi1024 | 2016-12-08 08:00 | 宇多田ヒカル | Comments(0)


宇多田ヒカルにとっての母


 藤圭子は、喉の手術の5年後に引退する。


「流星ひとつ」(沢木耕太郎著、新潮社)より

 「もう・・・・・・昔の藤圭子はこの世に存在してないんだよ」

 「喉を切ってしまったときに、藤圭子は死んでしまったの。いまここにいるのは別人なんだ。別の声を持った、別の歌手になってしまったの・・・・・・」

 「その手術が、あたしの人生を変えたと思う。よいとか悪いとか言いたいわけじゃなくて、結果として変ってしまったと思うんだ。引退ということの、いちばん最初のキッカケは、この手術にあるんだから・・・・・・」

 「五年前。手術前のビデオがあれば、あたしも見たいんだ。違うんだ、ほんとに」
 「見たら、あたしの悩みがわかってくれると思うよ。だから、この五年間、苦労してきたんだもん。みんなが持っているあたしのイメージと、歌のイメージと、それもうすっかり変ってしまったあたしの声を、どうやって一致させるかってことを・・・・・・。可哀そうなあたし、なんてね」

 「この五年、歌うのがつらかった」

 「勉強しようと思うんだ、あたし」


 藤圭子は、2013年8月22日に飛び降り自殺を図った。


日本テレビ「NEWS ZERO」より

 歌手活動休止中の宇多田ヒカルが、母の死後、初めて作詞したのが「真夏の通り雨」。
 インタビューの中で、“あなた”というのは“母親”であると語っている。


「真夏の通り雨」(作詞:宇多田ヒカル)より

 あなたに思い馳せる時
 いつになったら悲しくなくなる
 教えてほしい

 あなたに思い馳せる時
 今あなたに聞きたいことがいっぱい
 溢れて 溢れて

 愛しています 尚も深く

 夢の途中で目を覚まし
 瞼閉じても戻れない
 さっきまであなたがいた未来
 たずねて 明日へ


 宇多田ヒカルの歌には、母の果たせなかった辛い思いが込められているように思えてならない。


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by tsuruichi1024 | 2016-12-01 08:00 | 宇多田ヒカル | Comments(0)