<   2017年 04月 ( 29 )   > この月の画像一覧


「デモクラシーの毒」(藤井聡・適菜収、新潮社)

 以下は掲題書からの抜粋(その4)

  第八章 改革詐欺と思考停止社会

 安保法制における思考停止

適菜
  今回の安保関連法案に、中国や韓国、朝日新聞、毎日新聞、民主党、共産党は反対している。
 一方、イギリスやドイツ、オーストラリアをはじめ多くの国は賛成している。世界はこんなに賛成しているんだ。安倍さんのやっていることは間違っていないと。
 でも、日本の集団的自衛権の行使により、益を得る国が賛成するのは当たり前ですよね。それが日本の国益になるかどうかは別。この手の思考停止もかなり多い。
 私は改憲派ですし、集団的自衛権自体を否定しているわけでもない。自衛隊は国軍にして軍備は強化すべきだと思っています。でも、正当な手続きなしに、違憲の法案を通していいかはまったく別の話。これを破れば、法秩序の連続性が切断されることになる。これは左翼全体主義の手口で一種のクーデターですよ。

藤井  一般論で言うなら、思考停止している人々は、感情、気分、ムードで動いています。それは水ものですから変化していく。だから彼らには筋を通すなんて不可能。ムードの裏側にある筋なんて見えるはずがない。

適菜  民主党政権のときに法令解釈担当大臣みたいなのを置いて、内閣法制局長官の答弁を禁止したんです。小沢一郎も菅直人も憲法について相当デタラメなことを言っていた。それで私は論壇誌で批判したんです。今回は、それとまったく同じロジックで、安倍の手法を批判しているのですが、民主党政権のときは「よく言った」と喜んでいたような連中が、民主党よりもっとデタラメなことをやっている安倍に声援を送っているわけですね。ネットでも、安倍を擁護するためのテンプレートみたいなものがあって、それをひたすら貼ってくるわけです。


 「解釈」の連続性を壊すな

適菜
  今はネットレベルの思考停止が、全国紙や論壇誌、評論家の中でも進んでいる。先日、読売新聞の世論調査の項目を見て絶句しましたよ。「安全保障関連法案は、日本の平和と安全を確保し、国際社会への貢献を強化するために、自衛隊の活動を拡大するものです。こうした法律の整備に、賛成ですか、反対ですか」だって。単なる誘導尋問でしょう。

 時の政府の解釈で何でも通せるということになれば、また民主党が政権を取ったらどうなるのかという話です。悪しき前例をつくることになりますよ。万が一、「個別的自衛権も認めない」という政権ができたら自衛隊をなくすんですか?そういう勝手なことをさせないための憲法なのに、頭の中がとっ散らかってるんですね。「保守系」と呼ばれるメディアがこの惨状なのだからどうしようもないんです。

藤井  憲法十三条が優越するので、九条があっても個別的自衛権が発生するというロジックさえ共有されていないですからね。その共有認識がないのに、集団的自衛権の説明をするのも難しい。

適菜  集団的自衛権は同盟国である他国の戦争をお手伝いする権利ですね。だから、歴代の内閣、法制局長官、防衛省(庁)も違憲という立場だった。

藤井  自分を護る権利の延長に他社を護ることが含まれる場合があるとしたら、集団的自衛権は広義の個別的自衛権とも言える。ただし、どこまでが個別的自衛権の範囲なのかの線引きは難しい。

適菜  反対派も賛成派も議論が変。反対派は「憲法九条が」とか「徴兵制になっちゃう」とか左翼の思考停止を引き継いでいるのが多いし、賛成派は安全保障担当の総理補佐官である礒崎陽輔が本音を漏らしたように「法的安定性は関係ない」と。こうした中、粛々とロクでもない方向に政権が向かっている。非常に危ない状況です。

藤井  もちろん政府は合憲だと主張しているわけですから、理性ある者なら誰もが納得できる説明が求められている。

【憲法】
第二章 戦争の放棄
第九条  日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
○2  前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

第三章 国民の権利及び義務
第十条~第十二条 省略
第十三条  すべて国民は、個人として尊重される。
生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。


<感想>
 憲法九条があっても十三条が優越するので個別的自衛権が発生するという認識を持った上で、改めて集団的自衛権について考えてみる必要があるかもしれない。

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by tsuruichi1024 | 2017-04-30 08:00 | デモクラシーの毒 | Comments(0)


「デモクラシーの毒」(藤井聡・適菜収、新潮社)


 以下は掲題書からの抜粋(その3)

  
第四章 保守と近代

 安易に理想を語るな


適菜  そういう保守の感性が指導者には必要です。
 安倍が憲法について変なことを言っていたのですが、「憲法についての考え方の一つとして、国家権力を縛るものだという考え方がありますが、しかし、それはかつて王権が絶対権力を持っていた時代の主流的考え方であって、今まさに憲法というのは日本という国の形、そして理想と未来を語るものではないかと、このように思います」と。
 頭が痛くなりましたね。王権が絶対権力を持っていた時代に立憲主義が存在するわけはないし、「理想と未来を語る」って、極左のジャコバン派の憲法観じゃないですか。ベンチャー企業の社長ではあるまいし、国のトップは安易に理想なんて語るべきではないんですよ。オークショットは、保守的政治家は統治される人間を夢に押し付けるのではなく、むしろ夢の実現に向けて情熱的になっているところに節度を保つという要素を投入することだと言っている。
 国のトップが率先して、理想と改革を唱え、日本の国柄自体を変えてしまうようなことをやっている今のような状況は、大衆社会の末期的症状と判断せざるを得ません。

藤井  きちんとした保守的な政策は刺戟がないので、大衆的な人気が出ない。だから、大衆社会は保守的な政治家が生まれにくい土壌であることは間違いない。

 人間の生物としての性向上、保守的な傾向がないと、生命を維持できない。そもそも毎日、すみかや食習慣をバンバン変えるような生物は、その変化への対応に莫大なエネルギーを割かないといけなくなってしまい、結果的に衰弱し、最後には死滅する。一方で、単に「守旧」という態度なら、気候や政治的状況が変化したときに、臨機応変に対応できず、滅びる。つまり、何もかも昔のものを大事にするというのは愚かです。そして保守はそんな愚かな選択をしない。

適菜  復古主義も革新主義も根本は理想主義です。過去にユートピアを見出すか、未来に見出すかの違いだけで。特に革新主義は宗教です。現状を変えればよくなるという信仰ですね。根本にあるのは、キリスト教、ヘーゲル、マルクス的な進歩史観。それが近代の発想につながってくる。合理的に思考を積み重ねれば、結果的に正しい未来がやってくるという信仰は、日本の「保守」にも根付いています。

藤井  「偽装保守」という問題で言えば、そこが一番深刻な問題です。彼らがなぜ偽装するかと言えば、結局は偽装により精神的、物理的、金銭的満足が得られるから。特に政治家が「偽装保守」だとまずい。個人的な金儲けやええ格好しいのために国が潰れるなんて最悪です。


<感想>
 本来、夢の実現に向けて情熱的になっている国民を保守的政治家が抑えるというのが理想であろうが、バブル崩壊後25年間デフレが続く日本ではそれを望むべくもない。首相自身で理想と改革を唱えるのが大衆社会の末期的症状との指摘が正しいとしたら、それを阻止せねばなるまい。

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by tsuruichi1024 | 2017-04-29 08:00 | デモクラシーの毒 | Comments(0)


「デモクラシーの毒」(藤井聡・適菜収、新潮社)

 以下は掲題書からの抜粋(その2)

  
第三章 「大衆社会」に抗う

 ゾンビと「大衆」

適菜
  改革派官僚、脱藩官僚みたいな滑稽な人たちが暴走することにより、ますます官僚の弊害が大きくなるという話が『大衆社会の処方箋』の中にありますね。
 よく、官僚組織は開かれていないと批判されますが、開かれていないことが官僚制の優れた点でしょう。国民の声が簡単に官僚に届いたら、逆に問題ですよ。わが国は議会制であり、民意が反映されるのは三権のうち立法府だけです。また、司法、行政には民主主義に対する防波堤の役割がある。
 もっとも、裁判員制度や参院廃止論、政治主導という名の行政府支配により、国の根幹が攻撃されているのがここ20年の傾向ですが。

 藤井さんがおっしゃっていたNHK『ピタゴラスイッチ』に登場するピタゴラ装置の話と同じで、最初の時点で玉が見当違いのところに転がっていくと、あとのシステムは全部関係なくなってしまう。「日本」という主語が抜けているから、政府が率先して売国に励むようになる。

【三権分立】(出所:
http://consti.web.fc2.com/14shou1.html

 わが国、日本の憲法は統治のしくみとして三権分立を採用しました。
 三権分立とは、国家権力を立法権(法律の制定を担当)、行政権(行政を担当)、司法権(裁判を担当)の3つに分けて分離し、お互いに抑制と均衡を図る制度のことです(チェックアンドバランス)。
 立法権は国会に、行政権は内閣に、司法権は裁判所に割り振っています。
 こうして権力が一極集中して暴走してしまうことを防ぎ、人々の人権を保障するための制度なのです。

<感想>
 民意が直接反映されるのは三権のうち立法府だけ、司法・行政には民主主義に対する防波堤の役割があると言われて、「なるほどそうだなぁ」と改めて思う。

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by tsuruichi1024 | 2017-04-28 08:00 | デモクラシーの毒 | Comments(0)


「デモクラシーの毒」(藤井聡・適菜収、新潮社)
2015年10月15日発行


 以下は掲題書からの抜粋(その1)


  第三章 「大衆社会」に抗う

適菜  特に五人ひどい政治家を挙げるなら、小沢一郎、その手法を踏襲した小泉純一郎、そして菅直人、橋下徹、安倍晋三だと思います。もちろん、プチ小沢、プチ小泉みたいな奴は大勢いますけどね。

 一時期《戦後民主主義》という言葉がよく使われましたが、その一番病んでいる部分がこの五人の政治家に表れている。菅直人と安倍晋三は言っていることも政治観もそれほど変わらない。自分は選挙で国民の審判を受けたのであり、だから憲法の解釈も仲間内で変更できると。こうして議会を形骸化させていく。民主主義と全体主義はきわめて似通ったイデオロギーですが、これらは議会主義の敵なのですね。

 一番の問題は、政策がどうこう以前に、法治国家としてありえないことが白昼堂々と行われていることです。議会と法を平然と踏みにじっている。改憲が難しいから96条をいじると言い出し、それも難しいから憲法の解釈を変更すると。

 閣議で拡大解釈できるなら、党是の改憲も必要なくなる。私は、自衛隊は軍隊にすべきだと思っていますが、政府がその場に応じて解釈できるなら憲法の意味がない。大事なことは「正当な手続き」です。首相の私的諮問機関にすぎない安保法制懇の意見を優先するなら、議会の軽視も甚だしい。これは国の根幹を揺るがす革命思想そのものでしょう。左翼の連中は、集団的自衛権がどうこうと表層的な部分しか見ていないけど、安倍のやっていることはもっと危険なことです。 

 かつて民主党時代の小沢一郎は、内閣に法令解釈担当大臣を置き、政府主導で憲法を恣意的に解釈しようとした。民主党がやれば大騒ぎし、安倍が同じことをやれば拍手喝采する。結局、内容ではなくてバカを騙すための「見せ方」なんです。


<感想>
 
 閣議で憲法を拡大解釈することは、確かに、議会と法を平然と踏みにじる、法治国家としてはありえないことと言えよう。

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by tsuruichi1024 | 2017-04-27 08:00 | デモクラシーの毒 | Comments(0)


「天皇論 平成29年」(小林よしのり著、小学館)より


 以下は、掲題書からの抜粋(その10)


  第13章 天皇の基礎知識2・皇居と国家元首


 東京に遷都する以前、千年以上も天皇がいた京都御所には堀も石垣もなく、外界と隔てているものは、数人でかかれば壊せそうな塀だけだった。

 しかも御所は定められた期間に庶民が自由に参詣できる、身近な信仰の場でもあった。
 こんな無防備でも千年地位を脅かされることがなかった王など、世界に他にはいない。


 歌を詠むことは日本人の教養であり、たしなみであった。


 現在のような歌会始が行われるようになったのは明治からで、最初は天皇のごく側近だけで行われていたが、次第に参加者を広げ、明治7(1874)年から一般国民も参加できるようになった。

 歌会始は皇室の不幸により天皇が喪に服した年以外は必ず行われた。
 大東亜戦争敗戦の翌年、世情すべてが混乱の中にあった昭和21(1964)年でも中止されなかった。

 歌会始はそれほど貴重な皇室と一般国民を結ぶ行事なのである。

  ふりつもる み雪にたへて いろかへぬ
  松ぞ ををしき 人もかくあれ

 その年の昭和天皇御製である。
 深い雪の中でも、松が緑を失わないように、日本人もこの敗戦の試練に耐え、日本人の節操を曲げないで、雄々しく生き抜いてほしいという祈りの歌だ。


 この歌会始以外に「松の間」では信任状捧呈式が行われる。
 これは新任の外国の特命全権大使が天皇に信任状を渡す儀式で外務大臣が侍立する。
 そもそも国際慣習では、大使などの着任にあたり、派遣国の元首が発する信任状を受けるのは駐在国の「元首」ということになっている。

 各国は信任状を天皇に対して発し、大使などの着任の際に天皇に捧呈している!
 日本の元首は天皇であるというのは国際常識なのだ。


 さて、天皇の「明仁」という署名・・・
 そして、「天皇御璽」と刻まれた天皇の実印・・・
 まとめて「御名御璽」ともいうが、この二つがなければ日本の国家は動かないということを皆は知っているだろうか?

 憲法では天皇は「国事行為」を行うとされている。
 具体的には次の13項目が定められている。

1.国会の指名に基づいて内閣総理大臣を任命する。
2.内閣の指名に基づいて最高裁判所長官を任命する。
3.憲法改正、法律、政令、条約を公布する。
4.国会を召集する。
5.衆議院を解散する。
6.国会議員の総選挙を公示する。
7.国務大臣その他の官吏の任免、全権委任状、大使、公使の信任状を認証する。
8.大赦、特赦、減刑などを認証する。
9.栄典を授与する。
10.批准書その他の外交文書を認証する。
11.外国の大使、公使を接受する。
12.儀式を行う。
13.国事行為を委任する。

 これらに関する書類は閣議決定後、天皇陛下のもとに届けられ、陛下はこれに署名なさる。
 そして侍従職が押印する。御璽は金製で重さが3.55kgもある。

 天皇陛下が署名・押印する書類は年間1000件を超える。
 しかも陛下はその書類をすべて丁寧に読んだうえで署名されるので、大変なハードワークである。


 戦前の昭和天皇も「立憲君主」であり、内閣が機能不全となったたった2回の例外、「二・二六事件」と「終戦時」以外は、自らの意思で政策を実行させたことはない。
 天皇は常に内閣の決定を承認する役割だったのである。


 我々は自分の国を、世界最古の王室を頂く立憲君主国であると誇るべきなのだ。
 実際に海外からはそう評価されているのだから。
 なにゆえに、天皇をはっきり「元首」だとも言えないような空気が日本の中でだけ作られ、天皇が何をしているのかも若者が知らないというおかしな状況になっているのだろうか?


<感想>

 世界最古の立憲君主国である天皇に関する教育が皆無なことが問題だと国民一人ひとりが認識するところから始める必要があろう。


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by tsuruichi1024 | 2017-04-26 08:00 | 天皇論 | Comments(0)


「天皇論 平成29年」(小林よしのり著、小学館)より


 以下は、掲題書からの抜粋(その9)


  第12章 天皇の基礎知識1・天皇には姓がない


 昭和天皇の本名は「裕仁」である。
 天皇の本名は「明仁」、皇太子の本名は「徳仁」である。

 「仁」の字は第56代清和天皇(在位858~876)の名前「惟仁」で初めて使われ、第70代冷泉天皇の「親仁」以来、わずかの例外を除き「仁」を使うのが通例になっている。

 明治以降、皇子(天皇の息子)には「仁」、皇女(天皇の娘)には「子」をつけることが正式に定められた。
 日本の天皇も亡くなる別の名前がつけられる。

 生前の事蹟を称える「諡号」が、住まいの呼び名などに由来する「追号」だ。
 「明治天皇」「大正天皇」「昭和天皇」はいずれも「追号」であり、生前に呼ばれた名ではない。

 在位中の天皇を「今上天皇」と呼ぶ。
 崩御して諡がつけられるまでの間は「大行天皇」という。

 若い人は、現在の天皇ことを「平成天皇」とは決して言わないということも知らないものが多いようなので、念のために書いておく。

 天皇・皇后、および皇太后(先代天皇の后)、大皇太后(先々代天皇の后)の敬称は「陛下」。それ以外の皇族への敬称は「殿下」である。

 このような慣習からすると、現在ニュースなどで平気で「愛子さま」と呼んでいるのは、正式ではない。
 本来は、称号の「敬宮殿下」が正しい呼び方だ。

 一方、秋篠宮の子供は皇太子の甥・姪なので、称号はない。
 だから「眞子内親王殿下」「佳子内親王殿下」、「悠仁親王殿下」が正式な呼び名である。

 天皇や皇族には戸籍がない。
 代わりに「皇統譜」という帳簿がある。

 そして、天皇の名に関してはこれが最も重要なことなのだが、天皇や皇族には「姓」がない。


「明治」「大正」「昭和」「平成」といった元号は、日本では大化の改新の「大化」(645~650)が最初で、数度の中断をはさみ、「大宝」(701~704)から現在まで続いている。

 現在の日本の元号は、「一世一元」といい、天皇一人の在位期間に一つと決められている。


 明治以降は、「一世一元」で天皇の命がそのまま時代とリンクして、国民の時代意識を形成することになった。
 今でも「昭和」や「平成」が時代や文化の指標として当たり前のように使われている。

 だから左翼は元号が大嫌いなのだ。元号がダメで西暦がいいという理由も全くわからないのだが!


<感想>

 明治以前は天皇の在位中も天変地異、騒乱や将軍の代替わりなど様々な要因で頻繁に改元が行われ、一つの元号は平均5年弱程度しか続かなかったという。これも明治前後の違いの一つであり、明治以降を所与と考えてしまうことの誤りともいえよう。

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by tsuruichi1024 | 2017-04-25 08:00 | 天皇論 | Comments(0)


「天皇論 平成29年」(小林よしのり著、小学館)より


 以下は、掲題書からの抜粋(その8)


  第11章 尊皇を掲げる朝敵たち


 自ら「旧宮家」の娘との結婚を拒み、古い貴族社会の因習を断ち切った今上陛下が、今さら「旧宮家」の子孫を皇室に入れるなんてことにこだわるだろうか?

 まして、その男たちを自分の孫娘と結婚させようなどとお考えになるだろうか!?

 そして、制度上、自ら発言ができない天皇陛下を代弁するかのように、陛下の信頼の特に厚いと言われる側近中の側近、羽毛田宮内庁長官(当時)と渡邉允前侍従長(当時)が揃って「女性宮家の創設を」と発言し、それを後押しするように秋篠宮殿下が「一定数の宮家は必要」と発言されている。

 天皇陛下のすぐ側で、10年以上も仕えた渡邉前侍従長がテレビに出演して「女性宮家の創設」を訴えたのだから、これはもう99.9%陛下のご意志なのだと拝察するのが国民の常識というものだ。

 昭和天皇は側室を廃止し、女官制度の大改革を行った。
 今上陛下は民間から妃を迎えた。

 いずれも「前例がない」と言われることだった。

 だが「伝統を護る」とは単なる「前例踏襲」ではない。
 伝統と因習は、似て非なるものである。

 美智子皇后陛下は結婚50年の会見で伝統の大切さを十分強調した上で、こう仰っしゃっている。

  一方で、型のみで残った伝統が社会の進展を阻んだり、伝統という名の下で古い習慣が人々を苦しめていることもあり、この言葉が安易に使われることは、好ましく思いません。


 昭和天皇や今上陛下が因習を墨守し、皇室に今でも側室があり、結婚相手は上流貴族のみだったとしたら、それでも皇室は国民の敬愛の対象であり続けられたであろうか?

 そして、「必ず男子を産まなければならない」ことに雅子妃が苦しみ抜かれているのを目の当たりにしても、なお天皇陛下は「男系堅持」を墨守するのがいいことだと考えられるのだろうか!?


<感想>

 今こそ、皇室典範第第1条(皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。)について、天皇側近の方々のご発言の真意を忖度する必要があるのではなかろうか。

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by tsuruichi1024 | 2017-04-24 08:00 | 天皇論 | Comments(0)



「天皇論 平成29年」(小林よしのり著、小学館)より


 以下は、掲題書からの抜粋(その7)


  第8章 今上天皇の大御心・御即位二十年・慰霊


 今上天皇が即位後初めて沖縄を行幸したのは平成5年。
 歴代天皇としても初の沖縄訪問となった。

 両陛下はこの時も真っ先に南部戦跡に初めて国立沖縄戦没者苑に献花、参拝をされた。
 次に、近くの沖縄平和祈念堂で、県内各市町村の遺族の代表150名とご対面になった。


  即位後、早い機会に沖縄県を訪れたいという念願がかない、今日から4日間を沖縄で過ごすことになりました。
  先の戦争では実に多くの命が失われました。
  なかでも沖縄県が戦場となり、住民を巻き込む地上戦が行われ、20万の人々が犠牲になったことに対し、言葉に尽くせぬものを感じます。
  ここに深く哀悼の意を表したいと思います。
  戦後も沖縄の人々の歩んだ道は厳しいものがあったと察せられます。そのような中でそれぞれの痛みを持ちつつ、郷土の復興に立ち上がり、今日の沖縄を築き上げたことを、深くねぎらいたいと思います。


 約5分間、陛下は原稿なしでお言葉を述べられた。


 即位後初の沖縄ご訪問を果たした翌年、平成6年には両陛下は硫黄島、父島、母島を慰霊のためご訪問された。
 硫黄島ではこのような歌を詠まれている。

  精魂を 込め戦ひし 人未だ
  地下に眠りて 島は悲しき

 これは硫黄島守備隊指揮官栗林忠道大将が大本営に打電した決別電報の

「国のため 重き務めを 果たし得で
 矢弾尽き果て 散るぞ悲しき」

 ・・・の辞世の句に対する返歌となっている。

 硫黄島の遺骨収集は未だに4割程度しか終わっていない。
 そのことに思いを寄せた歌である。


 終戦50周年の「慰霊の旅」を終えられた両陛下が慰霊のための訪問を切望された場所がある。
 南洋諸島である。

 そしてようやく終戦60年に当たる平成17年、両陛下のサイパン訪問が実現した。
 天皇が慰霊だけを目的に海外をご訪問されたのはこれが初めてだった。


<感想>

 どれほどの国民が陛下の慰霊で救われたことだろう。

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by tsuruichi1024 | 2017-04-23 08:00 | 天皇論 | Comments(0)


「天皇論 平成29年」(小林よしのり著、小学館)より


 以下は、掲題書からの抜粋(その6)


  第7章 今上天皇の大御心・御即位二十年・福祉


 最近の中学歴史教科書では、「仁徳天皇陵」と書かれていなくて、「大仙古墳」と書かれている。

 (聖徳太子)もカッコ括りの記述になっていて、「厩戸皇子」と書かれている。

 さらに鎌倉幕府の成立も1192年ではなくて、1185年と記述している。
 源頼朝の支配権が西国に及んだ時を幕府の成立にするらしい。
 要するに頼朝が天皇から「征夷大将軍」に任じられた時にしたくないわけだ。

 「大仙古墳」「厩戸皇子」「1185年・鎌倉幕府」・・・つまりこれらの記述の変更は日本史から」「天皇」の権威を消そうとする企みがあるとわしは見ている!

 「天皇なき日本史」を考えている左翼学者どもが歴史の改竄を行っているのだ!


 玉音放送で昭和天皇が朗読された「終戦の詔書」にはこういう一節がある。

 「朕ハ、茲ニ国体ヲ護持シ得テ、忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ、常ニ爾臣民ト共ニ在リ」
 ・・・わたくしは、今ここに、国体を護持し得たとともに、国民のまことの心に信頼しながら、いつも国民と共にいる。

 この一言があったからこそ、国民は敗戦を受け入れ、その傷から立ち直り、希望を持ち、復興を遂げることができた。

 今上陛下は、今日の時代に合わせつつ、歴代の天皇と国民の関係を受け継いでこられたのである。

 日本の天皇と国民の関係に階級対立史観は全く当てはまらない!

 天皇は国民の支配者ではない!

 国民は「大御宝」であり、天皇の「大御心」は健常者が普段忘れがちな障害者にも及んでいる。

 わしはそのことを大変ありがたいと感じる。


<感想>

 教科書での歴史の改竄は許し難い。
「国民と共にある皇室」には心より感謝申し上げる。

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by tsuruichi1024 | 2017-04-22 08:00 | 天皇論 | Comments(0)


「天皇論 平成29年」(小林よしのり著、小学館)より


 以下は、掲題書からの抜粋(その5)


  第6章 因習・伝統・近代主義の葛藤

 皇室の古代以来の伝統、それは祭祀を重んじることだ。
 皇室には、因習と伝統が混在している。
 皇室の祭祀は伝統して重要である。

 祭祀によって国の平安と民の安寧を祈る、無私の存在。
 それが天皇である。
 

 三島由紀夫は天皇についてこう指摘した。

 「大統領とは世襲の一点においてことなり、世俗的君主とは祭祀の一点においてことなる」

 古今東西に「国王」などの世俗的君主はあまた存在する。
 そして民を虐げ、私利私欲に走った王の話もまた枚挙にいとまがない。
 そのような歴史の中で滅びた王制も数多い。
 
 しかし日本においては、「民」が「天皇」の存在を滅ぼそうとしたことは歴史上いまだかつてない。
 それは天皇が世俗的とは君主と異なり、祭祀を司る存在だからである。

 公のため、民のために祈る存在であり、私利私欲とは全く無縁だからである。
 「公」の心が失われたところには、安定した国家は築けない。

 国の中心に、公のために祈る無私の存在「天皇」を置くというのは、国を安定させるために人類が考えうる最も賢明な策であり、他に類を見ない偉大な英知なのである。


 7世紀末の持統天皇(女帝)の時代に、伊勢神宮の式年遷宮と、天皇が一代一度行われる大嘗祭が始まった。
 今も受け継がれる最も重要な二つの祭祀の成立である。

 持統天皇は日本書紀に書かれている最後の天皇であり、これをもって古代日本は完成したといえる。


<感想>

 利己主義とは真逆の私利私欲とは全く無縁の祭祀を司る天皇の存在は日本における奇跡のようにも思われる。

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by tsuruichi1024 | 2017-04-21 08:00 | 天皇論 | Comments(0)